「初めの愛」2001年8月19日(日) 手話礼拝メッセージ黙示録2:4-5 しかし、あなたには非難すべきことがある。 あなたは初めの愛から離れてしまった。 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し 悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうで なく、悔い改めることをしないならば、わたしは、 あなたのところに行って、あなたの燭台をその置 かれた所から取りはずしてしまおう。 私は8月6~8日まで、中高生キャンプの奉仕に行ってきました。 今回は、台所の手伝いとメッセージと司会の奉仕をさせて戴きました。 証しメッセージということで、奥村拓也神学生と菅原先生と私の3人が今回のメッセンジャーとしてたてられました。 それぞれが救われた時のことを証ししました。救いの証をする時、一番恵まれるのは自分自身だと思います。 私が、初めて教会に行ったのは小学校3年の時でした。学校の前で「みんなおいでよ!教会学校」のチラシを受け取り、友達と一緒に通いました。とても楽しく、私はクリスチャンだ!と思っていました。 でも、4年生になった時、ガールスカウトに入り、日曜日に教会に行けなくなってしまいました。当時、私の教会学校の担当は大学生だった坪倉先生でした。 次に教会に行くようになったのは中学3年の春です。 坪倉先生から時々手紙をもらったり、偶然、出会ったり、訪問してくれたりしていたので、一度くらいは行ってあげよう!と思い行きました。 一度きりのはずが、帰る時とてもかっこいいお兄さんが「来週もおいでよ!」と声をかけてくれたのをきっかけに続いていくことにしました。 教会に行きつづける中で、自分と教会の人が違うことに気付きました。みんな目をきらきらさせて、神様を賛美している姿にイライラしました。人生の酸いも甘いも知らないくせに…と腹が立って仕方ありませんでした。そんな私を主はエレミヤ31:3にあるように、永遠の愛をもって愛してくださり、誠実を尽くしつづけてくださいました。 自分が罪人であることが痛いほどわかりましたが、悔い改めても、また失敗してしまい自分がイヤでイヤで仕方ありませんでした。 罪を犯すたびに「神様、もう生きていくのがイヤです。私の命をとって下さい。」と祈りましたが、主のこたえはイザヤ43:4「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」また、25節「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」と語りかけて下さいました。 何度も何度も主を裏切り失敗だらけの私ですが、こんな私を愛し命を捨ててくださったイエス様のために自分のできる精一杯のことができればと思い、献身へと主は導いてくださいました。 今日読んだ黙示録の箇所に初めの愛から離れてしまった…とありますが、救われて愛を知った時の喜びをすぐに忘れてしまう者ですが、つねに救いの喜びのとどまりつづけ、習慣や義務や律法的な信仰でなく、命を捨ててまで愛してくださった主の愛にこたえる信仰であり続けたいです。 今日、みなさんの救いの証を聞く時間はありませんが、天使たちも喜んだあなたの救いの日の喜びを忘れず、日々主とともに歩んでいきましょう。最後に詩篇51:10-12を一緒に読みましょう。 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。 |